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drumhead films blog

佐賀県で自主映画をつくっているdrumhead films(ドラムヘッド フィルム)のブログです。

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L.L.ARMY-17

 今もなお、この期に及んで(自分のために綴るノートにすらも)立派な文章を書こうという思いを追い出せないでいる。

 忘れないために、低次の自我を捨て去るために、このノートを綴る。

 苦悩を、絶望を真に受け止め、思いを直視しよう。
 気高い理想を掲げよう。未来の自分のために。

(2006年7月9日27歳)

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L.L.ARMY-16

 負の感情は時として
 人に儚い美しさを纏わせる
 たいていの人間は無意識的にもそのことを知っている
 そんな時きまって悪魔が囁きかけるのだ

 「やあ」

 そこに住みたがる人々も居る
 悪魔の虜となり同じことを延々と繰り返し続けるのだ

 誘惑に負けてはいけない
 ぼくはぼくの望むものがそこに無いことを知っているから

(2006年頃27歳)

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L.L.ARMY-15

 大事なものを隠すとき、一番見つかりにくいのはどこだと思う?

 自分の一番近くさ。
 それが一番見つからない。
 自分でも見失うほどさ。

 だけど、半分は見つけて欲しいと願っている。
 だから自分の中に隠すのさ。


 吐き出せ。

 そうすれば、自ずと反応が返ってくる。
 必ずしも期待通りとはいかないがね。

(2005年頃26歳)

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L.L.ARMY-14

ニーチェへ

 「死んだ世界」が「死んでいること」は、もはや許されなくなった。
 繰り返すことの許されない絶対無。黒い終わり。

 同じ生を繰り返すこと、絶対無、どちらが怖いだろうか。

 むしろ、「死んだ世界」が目覚めて生に戻ったとしたら、人と世界のどちらかしか…いや、世界の本当の死は人の死をも意味する。人はもはや、この肉体との生を全うすることも、ましてや同じ生を繰り返すことなど叶いはしないだろう。
 オレが世界なら、倫理や道徳を必要としないものならば、迷わず人を殺すことを選ぶだろう。
 世界が人を、その混沌を愛すことなどできはしない。
 世界が人と、共に死ぬことを選ぶはずはない。

 世界が死から覚めるとき、狼狽した悪魔がやってきてこう言うだろう。
 「お前も、そして私ですら、同じ生を繰り返すことは、もはや叶わなくなった」
 「閉鎖か開放か、今すぐ選べ」
 「どちらにしろ、全ては消失するがね」

(2005年頃26歳)

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L.L.ARMY-13

 真理とは、それなしにはその種の生物が生きることができない一種の誤謬(ごびょう:まちがえること。まちがい。)にすぎない。

 と、ニーチェは言ったらしい。

 ぼくには、「恐れずに、自らの真理を語れるか?」と聞こえた。

(2005年頃26歳)

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